日没サスペンデッド

未完成で完了形

ワンステップスは日向を歩いてきたユニットではないという話

お気持ち表明、というほど大げさなものではない。

新曲イベントが開催されるめでたいタイミングで冷や水を浴びせるような記事を書くことに抵抗がないわけではない。

でも、歴史修正主義*1が「ワンステップスはモバマスの頃から好きでした!」などと言い始めることは阻止しなければならない。

別に、インディーズ時代のCDをメジャーデビュー後に聴いて「インディーズの頃から応援してました」と言うような行為を批判したいわけではない。

ただ、ワンステップスは1年前のあの日まで完全に公式から忘れ去られていたユニットだったこと、だから"インディーズ時代のCD"に当たるものがそもそも存在しないんだ、ということをここに記録として残しておきたい、というだけの備忘録。

 

 

本題に入る前に、軽く自己紹介をしておこう。

筆者は乃々Pである。主にモバマスに軸足を置いて4年ほど活動していた。イベントも走ってガチャも回した。総選挙で声が付いた時には声を上げて喜んだ。

一方、デレステはそれほど熱心にはやっていない。まず乃々のRが実装されたときに100連で出なくていじけて辞めた*2。バレンタインSRが実装されたときに戻って気はしたが、それ以降は乃々の出番くらいしか触っていない。今回のイベで久々に復帰しようと思ってランキングイベの走り方を聞いたら「放置編成って何?」というところから始まったくらいだ。

で、そんな乃々Pだが、ちひろのアンケートで好きなユニットを書く時にはいつもワンステップスと書いていた。(一番好きなユニットはビートシューターだがそれは今回は置いておく)

もちろんインディヴィジュアルズも好きだし、アンダーザデスクも好きだ。でもユニットとしての完成度はまとまりはワンステップスの3人が一番好きなのだ。

 

こういうことを書くと、「なんだ、ワンステップスは由緒正しきユニットなんじゃないか」と思われるかもしれないが、その実、4年以上前にたった一度登場しただけのユニット””だった””、というのが本題である。

初登場*3は2015年の4月6日。ドリームLIVEフェスティバルでの登場。お花見がテーマのイベントだったので、3人の掛け合いも桜と花見に対するコメントが中心で、若干のよそよそしさも感じられるくらいのボリューム。

f:id:nononononononono:20190918211902j:plain

kawaii

しかし、ワンステップスというユニット名を踏まえた負け画面(単騎で挑むとみられる)でのセリフにやられたわけです。自分に自信が持てない3人が”一歩ずつ”前に進むんですよ、泣けるでしょう。

これからの成長を見届けたいユニットだなー、って思って推すことを決意した、のですが。

 

時は流れ2015年9月30日、裕美ちゃんとほたるちゃんが共演するユニットが同じくドリームLIVEフェスティバルで実装された。その名は「GIRLS BE」、松尾千鶴ちゃんとのユニットだ。そして、やや飛んで2016年9月17日、泰葉ちゃんのR実装に伴うシンデレラガールズ劇場内に裕美ちゃん、ほたるちゃん、千鶴ちゃんが登場。間髪入れずに直後のドリフェスで裕美ちゃん、ほたるちゃん、泰葉ちゃんの3人が「GIRLS BE NEXT STEP」として登場した。(当時は相手ユニットに4人表示できない仕様だった)

正直ね、このユニットにSTEPって入ってるから、乃々もここに加わるんだって思ってたんですよ、というか、GILS BEとワンステップスが合わさってGIRLS BE NEXT STEPじゃないんですかって思ったくらい。

でも、あとは皆さんが知っての通り、11月にGBNSが再登場した時のメンバーはほたる、泰葉、千鶴の3人で、5人まで相手ユニットが表示されるようになった翌年に再登場した時には、裕美、ほたる、泰葉、千鶴の4人でした。

 

GBNSのことが嫌いなわけでは全くないし、応援もしてるんだけど、モバマス内での扱いで言えば、GBNSが日向で、ワンステップスは日陰側だったよな、というのが実感です。実際、乃々と2人の劇場での共演は0回ですしね。

まあ、そんな中でも細々とワンステップスを推し続けて、デレステの方のスカウトチケットで裕美ちゃんのSSRをお迎えして、「みんな両手でマイクを持ってるからこれはワンステップスを意識したに違いない!!」などと主張していました。

f:id:nononononononono:20190918214943j:plain

ほたるちゃんがマイクを持っていないのはたった今気づいた

 

でもまあ、∀NSWER実装されたし、正直限定乃々でインディヴィジュアルズ映ってたし、2周年記念コミュでもインディヴィジュアルズのコミュ用意してくれてたし、という流れもあったし、インディヴィジュアルズを推していけばいいのか、ってなったのが一昨年の今頃の話。

登場したのが一回きりのユニットなんてたくさんある*4し、公式の供給がなくても好きでいることには変わりはないしな、と。

 

じゃあなんで今デレステで、さも正統なユニットかのようにワンステップスの揃ったSSRが出て、新曲まで出るのか。

冒頭の「1年前のあの日」に話はさかのぼる。SS3Aで関裕美役の会沢さんが「いつかワンステップスで揃って歌えるといいね」(意訳)という発言をしたのがきっかけだ(と勝手に思っている)。

誰かが覚えてくれているのだ、ということに感激したし、TLの裕美P、ほたるPが口をそろえて「ワンステップス見たい」と言ってるのを見て、「強めの幻覚を見ていたんじゃなかったのだ」と安心した。

そしてそれから程なくして、白菊ほたるのソロ曲(森久保も)が発表され、しんげきアニメのビジュアルに3人が揃い、デレステに営業コミュが追加され、裕美のSSR(カントリーステップ)に3人が登場し、しんげきわいどにも3人で登場し、そして「ステップ&スキップ」が実装されるわけです。

 

あまり大きな声で言ったら怒られるのはわかってるんですが、声が付くってすごいことなんですよね。声を付けることが総選挙の"目的"になってはいけない、みたいなきれいごとを時々見かけますが、「忘れ去られていた」はずのユニットが揃ったSSRが見られるのも、3人のコミュが見られるのも、みんなほたるちゃんに声が付いてからのことですからね。

裕美PやほたるPからしてみたら思い入れの強いユニットはGBNSの方でしょうし、千鶴Pや泰葉Pから怨嗟に近い声が投げられてるのも見かけました。正直、僕もここまで推され始めたことに戸惑っているし、コミュの内容に不安も覚えている。

 

たぶん、イベントが終わったら、そんな不安も忘れて、いいイベントだったねと笑っていると思うが、イベントで上書きされる前だからこそ、今の気持ちをここに書き残しておきたいと思う。

 

頑張れ、ワンステップス。

ワンステップ。飛び出せ、その向こうへ。

ワンステップ。雲の上、虹の向こう、夢の先まで。

*1:大きな声で「SSRの背景に声なしアイドルが出たことはない!」などと吹聴する輩たちのことだ。ハロウィン輝子の背景に美玲がいたことを指摘しても「美玲は声ついてますよね?」と真顔で返してくるような輩たちのことだ

*2:こういうことを言うと老害扱いされかねないのは百も承知だが全員のモデルが揃うまでは2,3人ずつガシャとドロップに実装されたのだ。乃々の時は3人追加だったのでPU率が低かった

*3:にしてモバマス内での最後の登場

*4:なんだったらアンダーザデスクもアンダーザデスクとして登場したのは一度だけ

【レビュー】天才が天才を描く物語 『ショート・ピース』

とりあえず、作品を読んでくれ。後悔はさせないから。

Amazon ショート・ピース 1 (ビッグコミックス) 

 

端的に作品をまとめると、天才による天才の物語である。

月子の、ひかりの、要の、彼ら天才たちの才能の開花を描いた物語である。

そして、恩田清春という天才のための物語なのだ。

 

各物語のなかで、清春ともう1人の天才以外はすべて等しく脇役に過ぎない。

だって、あれだけセリフ量の多い唯が、田中唯という名前であることすら、月子編の中では一切描写がされていないのだから。

照明の山県くんなど、作中では「めがね部員」が名前として扱われているレベルだ。

だから、これは決して鎌倉文化高校映画研究部の青春のお話などでは断じてない。

恩田清春によって才能を"描かれた"天才の物語であり、彼ら天才の眼を通じて"描かれた”恩田清春という天才の物語なのだ。

 

まずは、3つのお話でそれぞれ主人公となる天才たちの話をしよう。

仲間を裏切ることになってでも自分の信念を貫き通そうとしたロックバンドのボーカル、安西月子。

過去の挫折から逃げ続けてきた自分と向き合うことで高みへと踏み出した元天才子役、足立ひかり。

憎んでいた父親から引き継いだ才能が自分のなかにあることを飲み込んで歩み始めたカメラマン、服部要。

この漫画において心情描写が入るのは彼女たち3人のものだけである。本来、映画研究部にとっての外来者である彼女たちの過去は本人の回想によって語られ、彼女たちの葛藤は本人によって明確な言葉となって描かれている。

だからこそ、読切という短い読書経験のなかで、彼女たちに感情移入することが容易であり、彼女たちの成長に涙することができる。

 

翻って、話を大きく動かす映画研究部、そしてその中心人物について語られる情報はごく限られる。ごく一部、唯視線でのモノローグは入るが、清春の一人称視点は一切登場しない。

だから、金賞を獲った映画の内容は断片ですら知ることができないし、清春が映画を撮っている理由も清春がひかりに語った言葉からしか推測できない。

 

それでも清春の才能について疑いようのないものだと読者が認識を共有するのは、月子の涙があり、ひかりが感じた恐怖があり、要の怒りが明確にそこに描写されているからだ。

もちろん、一次の情報として清春の才能は随所で明示されている。ひかりの出演作をすべて押さえていたのも、要の前で絵コンテを何枚も切ったのも、十分に彼の才能の証左足りえるだろう。

しかし、そのどちらも、物語の主人公であるところのひかりや要の感情を煽るエピソードとして機能していており、描写的に感じさせないのがこの作品のキモだ。

たとえば探偵小説であれば、語り部であるところの唯が「そんなこと言ってキヨハル先輩もひかりさんの作品全部見たんじゃないですか」と突っ込み、清春がとぼけた顔で「あの時代の映像作品は全部見たから」って答えてもおかしくないだろう。

あるいは、清春だけがロケ現場を去った後に、要が渾身のアイデアのつもりで撮った構図がすべてあらかじめ清春の台本に書き込まれているのを髙橋たち映画部員が見つけて「これってさっきの……」と呆然するシーンが用意されるのでもよい。

清春の才能をもっと鮮明に印象付けることは可能であるはずなのにもかかわらず、上記のエピソードは、月子の消火器のエピソードも含め、"主人公"の成長のためのきっかけの一つとして物語の中では位置づけられている。

だから作品を読んで一番印象に残るのは、武器よさらばでの月子での躍動であり、幼少のと同じように自然に笑えるようになったひかりの笑顔であり、天賦の感性によって要が撮った映像である。

 

個々の物語を切り取った場合には、清春「が」3人「を」映画という媒体を通じて描き出した物語として完成している。

おそらく読者に各々の作品について「この作品の主人公は?」と聞けば、月子を、ひかりを、要を挙げることだろう。

しかし、3編を通して清春の物語として捉えた場合、つまり、『清春「を」3人「が」描いている物語』として捉えたときには、彼女ら3人は語り部の立場であり、彼女らの色濃い感情を伴って恩田清春という才能に畏怖を感じる物語へと変貌する。

この主客の逆転を違和感なく両立させているのが、この漫画の漫画として優れている点であり、作者を天才だと称える所以である。

 

読切×3本という、特殊な掲載形態を1冊にまとめてくれたスピリッツ編集部さん、得難い読書経験をありがとう。

そして、小林有吾先生、アオアシも大変楽しく読ませていただいていますが、いつか、いつかまた新しい天才の物語を描いてください。