日没サスペンデッド

未完成で完了形

【レビュー】天才が天才を描く物語 『ショート・ピース』

とりあえず、作品を読んでくれ。後悔はさせないから。

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端的に作品をまとめると、天才による天才の物語である。

月子の、ひかりの、要の、彼ら天才たちの才能の開花を描いた物語である。

そして、恩田清春という天才のための物語なのだ。

 

各物語のなかで、清春ともう1人の天才以外はすべて等しく脇役に過ぎない。

だって、あれだけセリフ量の多い唯が、田中唯という名前であることすら、月子編の中では一切描写がされていないのだから。

照明の山県くんなど、作中では「めがね部員」が名前として扱われているレベルだ。

だから、これは決して鎌倉文化高校映画研究部の青春のお話などでは断じてない。

恩田清春によって才能を"描かれた"天才の物語であり、彼ら天才の眼を通じて"描かれた”恩田清春という天才の物語なのだ。

 

まずは、3つのお話でそれぞれ主人公となる天才たちの話をしよう。

仲間を裏切ることになってでも自分の信念を貫き通そうとしたロックバンドのボーカル、安西月子。

過去の挫折から逃げ続けてきた自分と向き合うことで高みへと踏み出した元天才子役、足立ひかり。

憎んでいた父親から引き継いだ才能が自分のなかにあることを飲み込んで歩み始めたカメラマン、服部要。

この漫画において心情描写が入るのは彼女たち3人のものだけである。本来、映画研究部にとっての外来者である彼女たちの過去は本人の回想によって語られ、彼女たちの葛藤は本人によって明確な言葉となって描かれている。

だからこそ、読切という短い読書経験のなかで、彼女たちに感情移入することが容易であり、彼女たちの成長に涙することができる。

 

翻って、話を大きく動かす映画研究部、そしてその中心人物について語られる情報はごく限られる。ごく一部、唯視線でのモノローグは入るが、清春の一人称視点は一切登場しない。

だから、金賞を獲った映画の内容は断片ですら知ることができないし、清春が映画を撮っている理由も清春がひかりに語った言葉からしか推測できない。

 

それでも清春の才能について疑いようのないものだと読者が認識を共有するのは、月子の涙があり、ひかりが感じた恐怖があり、要の怒りが明確にそこに描写されているからだ。

もちろん、一次の情報として清春の才能は随所で明示されている。ひかりの出演作をすべて押さえていたのも、要の前で絵コンテを何枚も切ったのも、十分に彼の才能の証左足りえるだろう。

しかし、そのどちらも、物語の主人公であるところのひかりや要の感情を煽るエピソードとして機能していており、描写的に感じさせないのがこの作品のキモだ。

たとえば探偵小説であれば、語り部であるところの唯が「そんなこと言ってキヨハル先輩もひかりさんの作品全部見たんじゃないですか」と突っ込み、清春がとぼけた顔で「あの時代の映像作品は全部見たから」って答えてもおかしくないだろう。

あるいは、清春だけがロケ現場を去った後に、要が渾身のアイデアのつもりで撮った構図がすべてあらかじめ清春の台本に書き込まれているのを髙橋たち映画部員が見つけて「これってさっきの……」と呆然するシーンが用意されるのでもよい。

清春の才能をもっと鮮明に印象付けることは可能であるはずなのにもかかわらず、上記のエピソードは、月子の消火器のエピソードも含め、"主人公"の成長のためのきっかけの一つとして物語の中では位置づけられている。

だから作品を読んで一番印象に残るのは、武器よさらばでの月子での躍動であり、幼少のと同じように自然に笑えるようになったひかりの笑顔であり、天賦の感性によって要が撮った映像である。

 

個々の物語を切り取った場合には、清春「が」3人「を」映画という媒体を通じて描き出した物語として完成している。

おそらく読者に各々の作品について「この作品の主人公は?」と聞けば、月子を、ひかりを、要を挙げることだろう。

しかし、3編を通して清春の物語として捉えた場合、つまり、『清春「を」3人「が」描いている物語』として捉えたときには、彼女ら3人は語り部の立場であり、彼女らの色濃い感情を伴って恩田清春という才能に畏怖を感じる物語へと変貌する。

この主客の逆転を違和感なく両立させているのが、この漫画の漫画として優れている点であり、作者を天才だと称える所以である。

 

読切×3本という、特殊な掲載形態を1冊にまとめてくれたスピリッツ編集部さん、得難い読書経験をありがとう。

そして、小林有吾先生、アオアシも大変楽しく読ませていただいていますが、いつか、いつかまた新しい天才の物語を描いてください。